• ホーム
  • 著名人の介護ストーリー

著名人の介護ストーリー

著名人の介護ストーリーでは、シルバー時代を応援するふれあい情報誌『エコール倶楽部』と連携し、様々な分野でご活躍の皆様に、自身の介護体験についてご紹介頂いております。

母と過ごせなかった時間に心残りがあって、
いま、父と過ごす時間を大切にしています。

『エコール倶楽部』 2014年 秋号
(女優)南野陽子 様

月に1週間、父と一緒に暮らしてます。

3年前に、母が亡くなり、父が実家で暮らすのが大変になったので、私の近くの方がいいだろうと兵庫県から神奈川の老人ホームに移ってもらいました。
そして毎月一週間くらいは、父を老人ホームに迎えに行って、私達のマンションで、介護というほどではありませんが、一緒に過ごしています。うちにいる時は、福祉用具は車いすと杖を使う程度です。父は3年前に脊椎を痛めて、車いすを使う生活になりましたが、ベッドからの起き上がりも一人でできますし、トイレも杖を使って自分で行けるくらい、とても元気です。
実家は、建物が古くなってメンテナンスが必要な時期に手すりをつけました。私の暮らすマンションは、もともとバリアフリーでしたが、さらに手すりを付けるオプションもあったので付けていました。具体的に将来の準備と考えたからではなく、ごく自然に。実家も私たちのマンションも父が車いすを使うようになるとは思っていませんでしたから、後でいろいろな助成制度があると知って、『早まったね』と冗談でよく話します。

父との生活を主人も支えてくれてます。

そういうことで、父とは一週間、一緒に過ごしていますが、こっちが仕事でくたびれている時もありますから、つい親子喧嘩もします。関西人同士なので、お互いツッコミ合ったりして。私たちは普通にケンカしているんですけど、それが傍で見ている主人やマネージャーさんは心配になることもあるようです。関西の言葉をきつく感じるんでしょうね。いくら喧嘩しても、「ごはんですよ~」って呼んで、食卓に座った時には、普通に戻っていますから、その程度のケンカなんですけど(笑)。
うちにいる時は、主人が気を配ってくれて、父が興味のありそうなラーメンのおいしいお店やお酒を呑みに車いすを押していってくれたり、車いすを乗せて車で連れてってくれたりしています。ほかは、テレビを見て過ごしていることが多いですね。脊椎を痛めるまでは、父はゴルフをするのも好きでしたし、車を運転して出かけるのも好きな人でしたから、それで満足しているかどうかはよくわからないんですけど。
主人は医療関係の技術者ではないのですが、病院経営に携わっていることもあってリハビリにも詳しいです。私は母や弟が父のケアをするのを見ていて、ケアのやり方にしても制度にしても、もっといいやり方があるんじゃないかなぁと思っていたんですけど、その辺りは安心して主人任せで、父の気持ちをよく理解してよく協力してくれています。
「行きたい」と父が言うので、今度、父と主人のご両親と私達でハワイに行きます。車いすであちこちどう回ろうかと不安はいっぱいですけど、なんとかなるでしょう(笑)。

調子のいいところを私は受け継いだようです。

母は3年前に亡くなりました。まだ68歳でしたから、早いですよね。母とはこれからもっといろいろやりたい、話したいと思っていたのでとても心残りがありました。それで、父とはできるだけ一緒の時を過ごしたいと思い、同居も考えましたが、お仕事で留守も多いので、行き来のしやすいホームを選びました。若い頃は親に対してそんなことを考えませんでしたけど、家族は大事にしたいですね。はい、今はとても幸せです。
母という人はとてもしっかりした人で、昔から家族でどこかに行って撮った記念写真があると、自分の気に入った写真を選んで、みんなに見せて、この写真いいから遺影にしましょと、何枚もたくさん取って置く人でした。父の写真も若い頃から母がいくつも残してあるんです。
葬儀屋さんのパンフレットでも、自分でこれがいいと思ったものに印をつけてありました。私も仕事をしているんだから、そんなに慎ましくしなくてもいいのに、質素なものに印がついてました。みんなに負担をかけたくないという母の気持ちなのでしょうね。大切な書類や、何かあったらお知らせする方の連絡先なども、全部きちっと書いてありました。
でも、いつ亡くなるかわからないからとか、老後に備えて準備をしておく、というほど具体的に計画していたのではなかったと思います。
母が使っていたお料理の本を見たら、「本の通りにすると味が濃すぎるからこれくらいに減らして」と自分なりのレシピを書いたメモが挟んでありました。一種のメモ魔でしょうけど、母はそういう人でした。
母の明るいところは弟に、私は調子のいいところを受け継いでます。

20歳ぐらいから「老人ホーム貯金」をしてました。

健康のためにジムに通うとかはしません。運動はしないんです。私は、何と言うんでしょうか、健康づくりに対する持論みたいのがあって、ジムに通うタイプじゃないんですね。だからといって何もしないわけではなくて、私はおばあちゃんになってもジムでガシャガシャやる自分の姿が想像できなかったので、老いてもできること、ウォーキング。それも、趣味があまりないので、どうせ休みを過ごすならちょっといい景色を眺めながらと山へ出かけたり、ショッピングに行ったりするくらいのことをしています。食べ物も特に気を付けてしていることはないですね。ストレス解消といっても、何の仕事をしていても悩みはあるでしょうし、そのことに捕らわれないようにしているだけで、特別何かをしているわけではありません。
私は若い時から冷めて見ているところがあって、20歳ぐらいの時から、老人ホームと船旅に備えた貯金を始めていました。数字が重なっていくのが好きというか、私はグラフとか統計が好きなんですね。
最近はお休みのたびに、昔お世話になった方たちに会いに老人ホームや福祉施設を訪ねています。昔と変わらず、お元気な方もいらっしゃいますね。中学生の頃、興味があってボランティア活動していたのですが、その頃に比べると、どこの施設もきれいで明るくて、職員の方たちも優しく接していらっしゃるように感じます。

老々介護は大変ですよね。私考えたんですけど、みんな若い頃、ある年齢になったら一年くらい介護を経験するようにしたらどうでしょう。ケアの現場で働く若い人を増やすということと、本人の将来のために。そういうことは、みんなまじめに考えた方がいい(笑)。
いま毎週Eテレで司会を担当させていただいている「にっぽんの芸能」では、出演者の方が経験豊富な方たちばかりで、年齢の高い方だと100歳近いご高齢の方もいらっしゃいます。みなさんお元気ですね。昔と違って、今は、ちゃんと治せる病気も増えていますから、私達もそうですけど、芸能界で活躍できる年齢が上がってきていると思います。平均寿命も私達の頃はもっと上がっているでしょう。なので、今から自分で準備できる事は考え、まとめ、行動しておこうと思います。

このインタビューは2014年9月4日に行ったものです。

南野陽子(みなみの ようこ)
1985年、18歳のバースデーにデビュー。CBSソニーより「恥ずかしすぎて」をリリース。と同時に、CX「時をかける少女」、CX「スケバン刑事 少女鉄仮面伝説」に主演し、CMや多くのグラビアなどを飾り、一躍トップアイドルの座を獲得する。歌手として、「楽園のDoor」「はいからさんが通る」「吐息でネット」等でオリコンシングルチャート8作連続1位を記録。女優としても、ドラマや舞台など今までに200作以上の作品に出演し、映画では「寒椿」「私を抱いてそしてキスして」(1992)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を、「三たびの海峡」(1995)で助演女優賞等を受賞している。さらに、2008年12月からActress Princessというブランドを立ち上げ、主にQVCで自らデザインした洋服を紹介。新たなジャンルでも活躍の幅を広げている。現在、NHKEテレで、「にっぽんの芸能」の司会進行を務めている(2011年~・毎週金曜日)。

お問い合わせ・カタログ請求はこちらから

お問い合わせ・カタログ請求

ページ上部へ